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はじめましてkanです。ブログを見ていただいてありがとうございます。

初めて当ブログに訪れてきてくれた人は僕のことを知らないと思いますのでまずは自己紹介させていただきます。

僕はEBAYという海外オークションサイトで中古カメラを中心に販売しています。 いきなり収入の話しで下衆だと思われるかもしれませんが、月収はおよそ毎月100−150万ほどあります。

今ではコンビニでは値段を見ずに購入できる程になりました。

それでいて、パソコン1台でどこでも働くことのできるビジネスです。

また今では日本または外国の方に外注して仕事をお願いしていますので1日3−4時間ほどの作業ですすんでいます。

普段はAMは自宅で、さっと作業をすましPMからカフェやスポーツジムに行くことが多いです。

だいたいPMからは自由な時間を過ごすことができています。 これだけ書くと、自由で楽しそうな生活を送っている様に見えますが実は最初からそういった生活ではなく、ここまで至るのには色んな挫折や失敗がありました。

それを今からお伝えします。

僕の経歴

僕は21歳の時から介護業界で10数年働きました。

介護は相手の気持ちに寄り添って悩みを聞いたり、介助すると 「ありがとう」と言ってもらうことのできるやりがいのある仕事です。

それがあっから私は10数年介護を続けることができました。

しかし、現実問題お給料は上がりにくい職種です。

なぜなら仕組み自体が収益に天井のあるビジネスモデルだからです。

具体的には

①利用者様の料金

②利用者様の人数に対しての職員の人数

などが細かく国で定められています。

ですので定員にきた施設の収益を上げるためには利用者様の稼働率を上げるのと、経費を削減するしかありません。

は10数年リハビリ特化型の通所系サービスの立ち上げや、立て直しに従事していました。 介護保険の改定ごとに事実上の減収が続き頭を悩ましていました。

プライベートの不充実

僕は妻と息子3人います。

サラリーマン時代、朝は一人で起き5時50分に家を出て自転車で駅までいきました。そして6時過ぎの電車にのります。 冬の時期は真っ暗で寒かったのを覚えています。

帰りは22-23時ごろです。 帰りの電車の中で今日は、みんなまだ起きているかなと〜期待しながら帰宅しますが、大体家の中は真っ暗。 家族は大体9時には寝ています。

ですので一緒に住んでいますが 平日、息子との触れ合いは寝顔を見るだけというのがほとんどでした。 また旅行に行く時は 僕『○月○○日に母型の東京の親戚の法事があるので2日間有給休暇を頂きたいです』

上司『本当に法事か?お前も行かないといけなのか?』

僕『はい、本当です。僕は長男なので参加しないと母の立場がなくなるので。休ませてもらいたいです』

上司『わかった。お土産期待してるぞ』

僕『はい、わかりました』

有給休暇の非常にとりづらい空気をだす職場でした。
ですが普段家族と会えない分、嘘をついて休みを取り旅行へ行っていました。

本当は別の場所へ行っていましたが、アリバイを作るために予め東京ばな奈をネットで買い休み明けに職場へもって行っていました。

どこで嘘が漏れるかわからないので他の従業員にもこの事は決して言いませんでした。堂々と有給とりたいな~といつも思っていました。

20代からの夢

僕には20代からの夢があります。

それは会社を辞め独立して成功する!!
という事です。

・独立して、成功して自由な時間を手に入れたい

・家族との関わる時間を増やしたい

・収入を増やし家族に経済的に良い思いをさせてあげたい

・海外旅行に年に1回は行きたい

・子供のやりたいことには積極的にお金を出してあげたい

・妻にはエステや美容にお金をかけいつまでも若々しくいて欲しい

僕は10年働いた職場を退職し、独立するためには営業のスキルを身につけないといけないと考え営業系のベンチャー企業に転職します。

転職後、すぐに営業職へ従事することはできませんでしたが働いて1年後にチャンスがきます。

A女性上司から

『私の所属する同業他社(介護業界)のBtoBの営業の責任者して大阪本社に来ないか?』

と誘いがありました。

私はやっと営業ができると嬉しく思い

『はい、是非行きたいです』

と伝えました。

今の仕事を引き継ぎ、本社へスーツを着て初めて出勤します。

今でも緊張しながら出社したのを覚えています。

まずはA上司と営業同行を行いました。

最初の1ヶ月で学んだのは、僕は営業というのは物を売りにいく仕事だと思っていました。

ですがそうではなく、まずはお客様と信頼関係を築くことが大事だということに気づきました。

その延長線上に物やサービスが売れていくんだということを学びます。

初めての経験でできないことばかりでしたが毎日充実していました。

そんなある日、A女性上司から呼ばれます。

A女性上司『ちょっと話があるねんけどいい?』

僕『はい、どうされましたか?』

A女性上司『私、実は家庭の事情で年内で会社退職することになってん。なのでこの事業はあなたに任すね』

僕『えっっ嘘でしょ!?えー。』

僕はビックリし過ぎて言葉が出ませんでした。

A女性上司『なので年内中に引き継ぐから。あなた一人じゃ大変だろから部下を一人つけてあげるね』

僕『わかりました…』

話があったのは10月頃でした。あと3か月もない。

僕は目の前が真っ白になりました。

どうしよう…でもやるしかないな。

腹をくくりました。

実はA女性上司は僕が転職の時の面接官でした。

入社後してからも上司は面倒見が良く、よく飲みに連れて行ってくれました。

僕は面接でも採用されてからも営業を学びたいと上司に言い続けていました。

後でわかったことですがA女性上司は社長へ頭を下げて僕を営業部へ入れてもらうようにお願いしてくれていたみたいです。 それを聞いた時、僕は泣きそうになりました。

A女性上司は僕への最後のプレゼントとして「営業」という経験をプレゼントしてくれたのだと思います。

僕はA上司のためにも会社のためにもなんとか成功させてやる!!心は燃えていました。

なんとか年内で引き継ぎが終わり、年末、A女性上司とお別れの時です。 送別会の時、僕は感謝を込めて代表して挨拶をしました。

そして、ボールペンをプレゼントしました。

 

人生を変える大波乱

年明け
A女性上司が退職したものの僕は最高の環境で仕事ができていました。
大阪本社では超一流の営業マンの社長が直々に僕にアドバイスをくれます。

またこのBtoB事業は代理店としての事業です。本体の東京にある企業の社長からも直々にアドバイスをもらっていました。

2人の社長からアドバイスをもらえるなんて成長しない理由がないです。僕は年明け早々に部下とその東京の社長の会社へテレアポの研修に1週間ほど行きました。

社長は年は2つ上だけですが、その仕事ぶりはと言うと、即断即決、思考はロジカル、面倒見が良く人柄がいい、何より人に教えるのがめちゃくちゃうまい方でした。

素直にかっこいい。いつか僕もこうなりたい。と強く思いました。

研修最終日の前日の晩、僕は秋葉原のホテルに連泊していたのですが、ホテルの近くにあ る油そば屋さんへ一人で夕食をとることにしました。

研修は充実していましたが、1日200件以上のテレアポの疲労感は正直結構ありました。

店員『はい、お兄ちゃんお待ち!』

関西ではあまり見られないこってりした見た目。でも疲れた体には食欲がそそります。

僕は勢いよく麺を

『ズルーズルー』と食べました。

美味しい!!

体の疲れが癒されます。

それと同時に

『ん?』

僕は食べた時に何か違和感を感じました。

食べにくいなと感じたからです。

まぁ疲れているからだろうと気にせず完食し、ホテルへ帰り休みます。

最終日の出社後、僕はやっぱり昨日の違和感が気になっていました。

なんかおかしい。

僕はそれでも気にせず仕事をしていました。

昼休み僕は後輩とコンビニに行き、昼食を買いオフィスで食べていました。

僕がペットボトルのお茶を飲んだ瞬間

『ブー、ゲホゲホッ』

と咽せ、お茶をオフィスへ吹き出してしまいました。

オフィスの皆がビックリして

『大丈夫ですか?』と言ってくれました。

僕『大丈夫です。すいません。』

と言いティッシュで濡れたデスクを拭きました。

これはおかしいと思い、すぐトイレへ行き自分の顔を鏡で見ました。

するとあることに気づきます。

『右の顔が動かない……』

僕はまさか脳梗塞???

目の前が真っ白になりました。

僕は冒頭でお伝えしたように介護出身なのである程度の疾患については理解しています。

僕がさっき咽せたのは喉に麻痺がでたからか?

脳卒中系の麻痺は手足に出るというイメージが強いですが、実は顔や喉にも麻痺がでることがあります。 さすがに脳卒中ではないだろう‥。

僕は葛藤しました。

このまま研修を切り上げて、病院へ行くか

それとも

研修を根性で続け、なんとか乗り切って明日病院へ行くか

悩んだ挙句、僕は後者を選びました。

僕は色んな事を背負って働いている。

こんな事で挫けてたまるか。

PMはなんとか気合いで乗り切りました。

帰りの新幹線の中どんどん麻痺は悪化しもう飲み物がストローなしでしか飲めなくなっていました。 妻からLINEがきました。

翌日地元の脳神経外科化へ行きCTを撮影してもらいました。

結果は

医師「あなたは右顔面麻痺です。今から紹介状を書くのですぐにステロイドの治療を受けてください

僕「はっはい、わかりました。」

そして医師から怒られました。

医師 「なぜ無理して昨日仕事を続けたのですか?顔面麻痺は一刻も早くステロイドの治療を しないと完治しにくくなります」

僕「すいません……」

会社へ電話し事情を話すと、治療に専念するように言われました。

僕はその日からステロイド治療を受けることとなります。

1週間ほど治療を受けましたが悪化するばかりで全く良くなりません。

僕は後悔しました。

あの時、研修を早く切り上げてすぐに治療をしていればすぐ治ったのかな…。

気が付くと右眼の瞬きができなくなっていました。

https://youtu.be/vvznmXesMvA

 

その晩から寝るときは眼に絆創膏を貼って無理やり閉じます。ですが夜中に剥がれ目を覚ま し熟睡ができません。

また、一番しんどかったのが太陽の光です。

人は自然と外に出て太陽の光を顔に浴びると眩しいので、眼を細めたり口角をあげたりして表情で光の強さを調整しています。

これが全くできなのが本当にしんどいんです。

あなたも一度太陽の光を浴びて、眼をあけたまま無表情で我慢してみて下さい。

おそらく10秒ぐらいしか我慢できないはずです。

僕は晴れた日の日中は下を向いて歩く事しかできませんでした。

こんな状態で仕事に復帰は到底無理だ。

僕は休職しました。

そしてその後も治る兆しはなく休職期間を経て退職することとなりました。

僕は、恩師から営業を学べるチャンスをもらい

そしていろんな方にお世話になり、最高の環境でした。

あとは自分が実力をつけ会社へ恩返しするだけでした。

しかし結果的に恩を仇で返す事となってしまいました。

顔面麻痺はストレスが原因なので、僕は新しいことにチャレンジしたストレスで病気になってしまったのか!?

ということはチャレンジしない方が良かったのか!?

チャレンジすることで色んな人に迷惑をかけてしまった。

本当に申し訳ない。

僕は自分を責め、病気を恨み 悔しくて仕方がありませんでした。

家族にバレない時間に毎日、ベットに顔を押さえつけて 声を出して泣いていました。

しばらくそんな日々が続きました。

そんなある日

家族で夕食を食べていた時のことです。

相変わらず、食べにくい。特にソース系の食べ物は口の周囲についてしまいます。

また、よく口に入れ損ねて溢してしまします。

そして、飲みものはストローで口の左半分で吸います。

毎回食事の度に

本当、不自由だな〜しんどいな。食欲も以前よりでません。

そんな時、息子から話しかけられます。

長男「あれ〜!パパいつから右眼、瞬きができるようになったの?」

僕 「えっ嘘。本当だ!!できるようになっている。気づかなかった!!」

長男 「これで絆創膏貼らずにぐっすり寝れるね。良かったね。」

長男は笑顔で言いました。

僕は感動して泣きそうになりました。

妻も次男も皆んなが笑顔で喜んでくれました。

たかが瞬きができるようになっただけです。

家族全員が喜んでくれました。

僕は病気をして初めて前向きな気持ちになりました。

これで徐々に治ってくるかもしれないな。

この出来事をきっかけに前向きになり始めてきた僕は、 「何かしら転職ができるかもしれない!」 と思い、ネットで求人を探し始めました。

しかし求人をネットで探しながら思ったのが転職といっても僕は顔が曲がったままで面接に

行かないといけないのか。それは嫌だな。

一気にやる気がなくなります。

人生の一大決心

このままのテンションだと妥協して転職しても良いところに就職できず

僕は一生病気になったことを恨み続けて仕事するんだろうな、

この先真っ暗だなと思っていました。

数日たちふと僕は初心に戻ります。

そうだ僕が目指していたのは独立することだ。

いっそのことこのまま転職せずに独立したらどうだろう。

完全に逆転の発想ですが、

これで独立して成功すれば逆に病気になって良かったと思えるはず

病気を踏み台にして成功できないかと考えます。

また死に直結する病気ではないですが同時に僕はこうも思いました。

人間って本当にいつ死ぬかわからないなと…

病気を経験したことで

やりたいことがあるなら、やれる時にやらないと‥

僕はすぐに妻に話をします。

僕「あのー。転職の事なんやけど、このまま独立してもいいやろか?それが一番前向きに仕事できる方法やねん。絶対頑張るから」

僕は妻から絶対に反対されるなと思っていました。

妻 「いいよ!一人で大変やろうから私も手伝うよ」

僕はただただビックリしました。

今振り返って本当に思います。

綺麗ごとに聞こえるかもしれませんが

今の生活があるのはあの時に賛成してくれた妻の器の大きさと協力があったからです。

普通反対しますよね。

本当に感謝です。

一応、経営者を目指して今まで仕事してきました。

前から思っていたのは経営者になるための最初の大きな壁は

独立するための資金です。

ここがネックです。

なんの根拠もなく銀行からお金なんて貸してくれない。

借り入れできたとしても体力が持たなかったら借金が残る。

数年前、介護業界で独立したいと思った時期がありましたが

僕が経験していた通所系サービスは初期投資が結構かかる。

諦めたのはこれが理由です。

妻、息子3人、住宅ローン30年

独立することは決めましたが絶対失敗はできない。

EBAYとの出会い

当時、妻がEBAYの梱包外注をしていました。

たまに僕も梱包を手伝ったことがあり、戦隊物のおもちゃ、研ぎ石、カードゲームなど日本の様々な商品が海外で需要があるんだなと思っていました。

僕はインターネットでEBAYについて調べます。

見ると、無在庫販売しているということがわかります。

無在庫とは商品が売れてから販売する、

すなわち、在庫を持たずに販売できるということです。

資金的なリスクはほぼゼロに等しいな。

また、調べるとEBAYで独立して生計を立てている人が結構いることに気づきます。

現に外注のクライアントさんも独立していたので頑張れば上手くいきそうだなと思いました。

ここで前職の社長の言葉を思い出します。

「事業で上手くいっている人がいるということは、自分も同じことをすれば上手く行く可能性が高い」

自分にもできるはずだとやる気が上がります。

そしてEBAYで独立することに決定しました。

情報を見ているとEBAYでうまくいくためには

リサーチのスキルが最も必要だなと気づきました。

インターネットでブログや、YouTubeでEBAYの情報を見て

毎日妻が10品、私が20品ずつリサーチし出品をしました。

僕 「中古の方が売れるんかな?」

妻 「いや、新品の方が同じ商品いっぱい売れてるから、新品の方がいいんじゃない?」

僕 「確かに。じゃあ俺が中古中心でするから、新品中心でお願いしていい?」

妻 「わかった」

毎日あーでもない。こーでもないと言いながらリサーチしていました。

しかし世の中そんなに甘くありません。笑

私は毎日、12時間以上かけ取り組んでいましたが全然売れません。

そして追い討ちをかけるかのように世間は流行病で学校が休み。

自宅で子供たちの世話をしながら仕事をする生活になります。

僕は三男がまだ1歳だったので抱っこ紐でおんぶし、座ると泣くので立ったままパソコンで

リサーチしていました。

家族と関われる時間は圧倒的に増えたのは良いのですが

流石にずっと一緒だとしんどくなってきます。

人間ないものねだりですね笑

そんなこんなありながら諦めず続けるとある商品が爆売れします。

それはジグソーパズルです。

世界中でパンデミック状態。

世界中の自宅で暇をしている人たちが多かったのでしょう。

たまたま出品していたジグソーパズルが大ヒット

中でも飛ぶように売れたのは

ITS majicです。

(次男作)↓

一ヶ月で数百個は売れました。

名前の通り今まで売れなかったのが嘘かのように毎日魔法のように売れていきます笑

この出来事が独立成功の兆しが少し見えた瞬間でした。

私と妻は夜な夜なジグソーパズル発送の梱包をし日本郵便の集荷を呼ぶ毎日。

忙しかったですが、たくさん売れて嬉しかったです。

しかし、しかし

そんな幸せも魔法のように一瞬で消え去ります。

もうダメかも‥

日本郵便が流行病の影響で海外発送ストップ

結論、大量に売れ発送したはずのジグソーパズルが数ヶ月後大量に自宅に戻ってきてしまいます。

海外のお客さんへは返金し、パズルだらけの自宅になってしまいました。泣

これでは独立生活が終わってしまう。

めちゃくちゃ焦りました。

なんとか次の打手を考えないと、無在庫販売で芽が出るまでに貯金が底をついてしまう。

僕はパズルだらけの部屋で

「物販 稼げる インターネット」と調べました。

すると色々と出てきます。

・メルカリ仕入れのアマゾン販売

・中国輸入

・EBAY仕入れの国内販売

どれも良さそうに見えるけど本当に稼げるのかな?

僕は調べすぎて逆にどれがいいのかわからなくなりました。

そんな中、僕の目に飛び込んできたのは

「カメラ」

という文字です。

詳しく読んでみると日本のカメラは世界的に人気らしい。

そういえば、無在庫のリサーチをしている時にカメラはよく売れていた

事を思い出します。

僕はEBAYで調べました。

するとカメラ専門で販売している日本人がたくさんいます。

しかもかなりの数を販売していました。

これしかない。

そして、僕は新たな打ち手として

中古カメラの販売を始めます。

以前からカメラ好きだったのかというと全く無縁でした。

興味ありません。一眼レフのカメラを触ったこともないぐらいでした。

ですがカメラ販売の可能性を信じ、僕は無我夢中で始めました。

無在庫のリサーチはひとまず妻に任せ僕はカメラに本腰を入れます。

カメラは無在庫販売ではなく在庫を持って販売します。

ですので仕入れの質が生命線となります。

無在庫が当たり前だったので、仕入れるのが怖かったです。

最初は数千円のカメラレンズ何個か仕入れ

自宅に届き、検品をします。

カメラの事なんて全くわかりません。

正直検品がストレスでした。

これは動作に問題ないか?

これのレンズについているのはカビか?それともチリか?

僕はインターネットで

「カメラ レンズ カビ」と調べ

画像と比べて判断していました。

そして、写真をとりEBAYのカメラ専用のアカウントを作り出品します。

数日後、初めてカメラが売れます。

僕 「やったー売れた!!しかも利益5000円ぐらいでた!!」

妻 「すごいね!!これでうまくいきそうね!私は無在庫がんばるね!」

僕 「そうやね。がんばろ!!」

そして結果

開始三ヶ月でカメラのみで月収40万円達成

これで独立生活を続けていけると手応えを感じた瞬間でした。

うまくいったのは諦めずに、止まらずに取り組み続けたからです。

月収40万円いく過程で失敗がなかったかというとそうではありません。

仕入れの失敗、売却後不具合があり返品になる。などありました。

ですが失敗しても僕は一喜一憂せず切り替えて行動し続けてきました。

そんな気持ちで取り組んできました。

その後、外注化を覚えます。

元々サラリーマン時代にマネジメント経験があるので、オンラインでは始めてでしたがうまくいくことができました。

・利益に直結する仕事

・人に任すことのできない重要な仕事

それ以外は外注化することにしました。

また無在庫の方も諦めていたわけではありません。

一旦は妻に任せていましたがカメラの外注化が進み、余裕が出てきたので僕も無在庫に力を入れます。

無在庫の方も外注化をすすめ、私と妻はリサーチに時間をかけます。

僕は無在庫とカメラ、この2本柱ができれば少しは経営も安定するだろうと思い心が燃えていました。

努力の甲斐あって無在庫も売れ出します。

3日に1個から

2日に1個

1日に1個

 

と徐々に売れるペースが早くなります。

そして、EBAYを始めて1年後、月収が両方で150万達成します

現在は外注スタッフは20名ほどいます。

1日の作業時間は3−4時間になっています。

ほとんどが外注スタッフとの連絡だったり、フォローです。

妻の作業時間も今では減り1日2時間ほどです。

今では妻はAMに仕事と家事をさっと済ませ ドラマを見たり、フィットネスに行ったり、マッサージにいったりしています。

私もAMに仕事をサッと済ませ、PMからフィットネスに行ったりカフェで本を読んだり自由 に過ごしています。

サラリーマン時代とは全く違う生活を送ることができています。

今では家族みんなでご飯を食べるのは当たり前

長男、次男の幼少期のころは僕の知らない間に言葉を覚えていたり、知らない間にできることが増えていたので悲しく感じていましたが、今では3人の息子の日々の成長を見ることができています。

子供と遊びに行く時も、サラリーマン時代は次の日の仕事を考えセーブしながら遊んでいましたが、今では次の日のことを考えず遊ぶことができています。

もちろん学校の行事に行くのは当たり前になっています。

幸せな日々が送れています。

僕は病気になって本当に良かった。人生をかえる最大の出来事だった

今なら胸をはって言えます。

病気になった当初は正直、背伸びをした決断でした。 実は自分に逃げないように前職の人たちにも宣言していました。 ですが決断して本当に良かった。 自分を信じて継続して良かった。

あのまま自分の人生に妥協していたら今の生活は実現していないです。

僕の想い

当初はネットでよく見る「月収で100万円越え」なんていうのはウソや誇大広告か何かかと思っていました。

しかし実際に自分で月収で150万円を稼いでみると、嫌味に聞こえるかもしれませんが、 「なんだ楽ではないけど全然そこまで難しくないじゃん」 「みんななんでやらないんだろ?」

というのが正直な感想です。

また、会社員と独立どちらも経験しているから言えることですが サラリーマンで月収10万円上げるよりも、副業で10万稼ぐ方が断然容易です。

僕がちょうど月収で150万円を稼ぐことができたころ、友人夫婦が僕の家に遊びに来てくれた時がありました。

その時に、僕自身も話を聞いて欲しかった気持ちがあり、 「eBayビジネスで月収で150万円を達成したんだ!」って自慢しました。(今考えるとサムいのですが笑)

そのことを聞いた友人は、元々通販でクレジットカードを使うのもためらうくらいのアナログだったにもかかわらず、ネットビジネスにチャレンジするを決意し、

その〇か月後に 「お前の話をきっかけに頑張ったら月で10万円稼げるようになったよ!」 と連絡をくれました。

僕はその夫婦に良い影響を与えることができ、素直に 嬉しい、良いことしたなと感じました。

ですが世の中の人たちはまだまだ、

副業で10万円稼ぐのなんて難しいだろ。

ネットで10万稼げるのなんて嘘だろ。

そういう印象を持っている方が多くいると思います。 これは僕の推測ですが、なぜそう思うかというと

サラリーマンの月収を10万上げるという感覚を基準にしているからだと思います。

それは全然違います。

僕はこのことにできるだけ多くの方に気づいてほしい。 僕をきっかけにあなたに良い影響を与えたい。

そして友人夫婦が収入が増えて喜んでくれたように、僭越ながら 「もしかしたら僕がきっかけで人生が好転するひとがいるかも」 それを考えたらこれまでになくワクワクしている自分に気がつきました。

実はひそかに「誰かが喜んでくれるのが自分が一番うれしいことかも」と感じ始めていて、そんな想いから情報発信を始めることにしました。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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